大報恩寺について
沿革
大報恩寺は13世紀前半、末法の世の中で、天台僧義空が釈迦信仰に基づき承久2年(1220)に開創しました。嘉禎元年(1235)には天皇の御願寺となります。文永の頃(1264〜1275)澄空は遺教経を声明として広め、千本の釈迦絵念仏を創始しました。幾多の戦禍・災害を免れた洛中最古の本堂は「千本釈迦堂」として親しまれ、それぞれの時代に対峙しながら創建以来の想いを脈々と受け継ぎ現在に至ります。
おかめ塚
本堂の造営にある女性の悲話を縁起とします。棟梁の過失で貴重な柱を切りすぎてしまった事故を妻であるおかめは、天啓を得て枓栱を使うよう助言。この機知により本堂は無事落成します。おかめは女が入れ知恵をしたと世間に知られると夫の立場がなくなると考え、上棟式を待たずに自刃して果てます。当時、施主である義空上人は、その成り行きを伝え聞き、おかめの徳を称えて境内に塚を建てて供養した故事が今に伝わっています。
文化財について
建造物
800年の時を超え釈迦の教えを今に伝える仏教空間です。天台宗の教義を大報恩寺に反映したことを強く示している構造になっている本堂は、四天柱をもつ一間四面堂形式です。これは天台宗の常行堂や法華堂に由来し、仏像を安置する内陣と礼拝する礼堂(外陣)を併設します。内陣中央の須弥壇には本尊の厨子があり、後方の壁画には「釈迦は永久にこの世に存在し法を説く」というテーマが描かれています。
仏 像
大報恩寺は、行快作の本尊 釈迦如来坐像をはじめ、行慶作の木像十大弟子立像、定慶作の六観音菩薩像など鎌倉期の仏像の隠れた宝庫です。運慶・快慶の次世代にあたる仏師たちが、巨匠を仰見ながら日々切磋琢磨しあがいた様を珠玉の名作を通じてご高覧ください。
経王堂
大報恩寺には、今は失われてしまった北野経王堂ゆかりの文化財を数多く伝わっています。一例では、五千帖を越す北野経王堂一切経や傅大士(ふだいし)坐像および二童子立像は、北野社境内に位置し、経王堂管理下にあった輪蔵ゆかりの品です。東大寺大仏殿に匹敵し、当時としては洛中、洛外を含む最大級の巨大建造物で執り行われた北野万部経会の熱狂の跡を今に遺しています。
拝観案内
- 宗教法人 大報恩寺 (通称:千本釈迦堂)
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新西国霊場
第十六番札所京都十三佛霊場
第八番札所ぼけ封じ観音霊場
第二番札所十楽観音霊場
第二番札所
【拝観時間】
【拝観料】
【交 通】
- JR
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